『おちこむことはあるけれどわたしはげんきです』
注:この先、希死念慮の話題があります。
閲覧の際はお気をつけください。
タイトルの通り、今は大丈夫です。
↓ここから注意
新年明けました。
だいぶ遅れておりますが、今年も当ブログをよろしくお願いします。
昨年本当はもっと色々ブログの更新を頑張りたかったのですが、あまり叶わなかったです。
なんでかというのを今後の自分のために残しておこうと思います。
実を言うと2021年5月頭から、外的要因により精神状態は非常に悪く、希死念慮で一杯でした。
とにかく死に対する抵抗・ひっかかり・摩擦みたいなものが一切なく、むき身のゆで卵みたいにつるんって、するんって、水の中にとぷんってハマってしまうであろう感覚。
自死の可能性を自分で感じてから予約日でない日にかかりつけ医の所へ駆け込んだ日までの間一週間、ここが一番負の感情が暴れまくってました。
その間はずっと本当に自分のことをとるに足らないしょうもない人間だなってずっと思ってた。
他者からのないがしろな感じっていうこともまぁあるのだけど、何より自分が自分に価値を見いだせない。
「幸せなんて人それぞれ」って他人には心の底から言えるのに自分には言えない。
途中から「生産性」とか考えちゃう。
最終的にあらゆるものが羨望の対象で、ひたすら「いいなぁ。みんな努力して充実して。かがやいていて。それに比べて自分はなんて見所のないやつなんだ」って言ったり思ったりしたがら泣く状態になりました。
在宅の仕事があるという部分だけでなんとか社会の中にいる人間としての形を作ってましたけど、仕事中も泣いてたし、これが2週間ちょっと続いてましたね。
いっぱいいっぱいになる直前に、「これ危ないんじゃないか」って考えついた部分で、「こころの健康相談統一ダイアル」とか、それと民間の電話とか、そういうページにアクセスして、仕事PCにしろスマホにしろブラウザで開きっぱなしにして、ふとした折でも目に入るようにする、みたいな行動を防波堤にしてました。
なかなか電話をかけにくい時間帯しか受け付けてないものが多いけれど、中には24時間受け付けているところもあるし、「仕事ほおってかけて何が悪んだ、電話しよ」って頭の隅に入れておくことが大事かなと思って割と常に意識したりして。
あととにかく「今自分の状態が危ない」っていうことを口に出したり、SNSに書いたりもしてました。
そういうことが功を奏したたり、同居している親や主治医のお陰で(あと他人にそれなりに当たったこともあって)、どっこいしょと立ち上がる気力は少し戻ったんですけど、今も精神的な耐久度というか、傷つきやすさ・気にしやすさみたいなものを抱えて生活してます。
衝動性に気をつけていたwith希死念慮期間後は過ぎて状況が落ち着いたというか、ずっとマイナス1000ぐらいのとこれで荒れ狂っていたのが、マイナス30ぐらいのところまで浮上して低空飛行できるようになった感じです。
浮上はしていても結構しんどいので、自分が過ごしやすくなるような、気がまぎれるようなことを模索してトライしてます。
数ヶ月経ってからツイッターで見つけた読んだ本。
電子書籍で買ったら1ページで数行程度で文字も大きくイラストもあるから、文章を読むのが辛い時でもなんとか頭に入ってくる感じ。
最後まで読んで色々参考になったんですけど、最初の章「とりあえず落ち着く」が本当にすぐ実践できるものでした。
肌触りの良い毛布に触ったり包まったりするとか、息を大袈裟に吐くとか、紙を破くとか本当に色々。
中でも「カウントしながら手で体を触る」っていうのが特に使えまして、私にはすごい効果があった。
風呂上がりとかによくやるんですけど、スキン・ボディケアついでに、肌のなだらかな感じとか、荒れてきめが整ってないとか、若干ボコボコになってる感じとか。
この時肌荒れ嫌だなとかそういうことは考えずに、ただただそういう感触を確かめるだけ。
私の肉体はこんな感じかーって認識するのが、落ち着きに一役買ってくれます。
追記:スキンケア・ボディケアはやるのがしんどい時はやらないし、ケアした時必ず手で触るっていうのも必ずやってるわけではない。本当にしんどい時は、寝そべってから本に書いてある通りポンポン触るだけです。
「セルフケア」とか「自分の機嫌は自分でとる」みたいな言葉は本来悪いことじゃないけど、適用範囲を広げられて自己責任論につながれて語られることが多いですね。
あくまで生活の知恵、選択肢の一つ、階段に対するエスカレーター、エレベーターみたいな楽になれる道みたいな位置づけで考えています。
根本的解決や治療とはまた別だよ、ということです。
あと日記を書くこと。
『セルフケアの道具箱』にもストレス日記を書くというノウハウがあるけれど、ヤマシタトモコの『違国日記』で嘘を書いてもいい、書かなくてもいい、自由に、という件があって本当にそれが染みたので、自分なりにアレンジして色々書き綴るようになりました。
Twitterの鍵付きで人に見えないように快不快分け隔てなく色々書いていく…とか考えたけど今のアカウントは公開のまま使用したいし、2つのアカウントを使うとか昔はやったんてますけど一瞬しか続かなかったし、それに非公開であってもネットに放流することには変わりないし、というわけでアナログな方法に落ち着きました。
色々気にせずに感情を書きつらねた場合は後で読み返すと「今は違う」と思ったりするので、色の違うペンで書き足したりしてみると思った以上に自分の中で整理されて本当にいい。
毎日書くという目標とかは設けずにマイペースでやってます。
まぁそんなこんなで、なかなかブログの記事も書けなかったんです。
最後の記事が8月の「買ってよかったもの」なんですけど、これも這いつくばりながら書いててアップした瞬間に諸々の系がぷっつーん切れてしまい、その後も何か書こうと下書きにはタイトル書いたり保存はするまでしかいけなかったですね。
無理に書くものでもないなと気がついてからは、いい意味で放っておけるようになったのが良かったのかもしれない。
それにしてもこの世は「健康」な人間をデフォルトにして社会システムを構築しすぎだと思う。
それを小脇において考えてみても、自分の意見言うにも不健康だとなかなか難しいこともあるなぁなんて、何年もことあるごとに打ちのめされたりもします。
今後も希死念慮がおこったり何もかも落ち込んでしまったりすることはいくらでもあることでしょう。
生きてるだけでもそうだけど、私は治療中・寛解を目指す患者なので。
でもまぁなんとかいろんなやり方を知って見つけて生き残って生活したいと思ってます。
その狭間でぼちぼちブログも更新できたらいいな。
「健康じゃなくても生活できる世の中」と「健康そのもの」両方になんとなくリーチしていきたいなーと疲れないように1歩ずつ。