好きなことでも面白い文章を書きたいという漠然とした想いとまつろう話

春先、新しい物を見たり観たり読んだりすることがしんどくなってきました。

まぁ気候の変化が激しい時分だしよくあること…というわけで、そこまで深刻に受け止めてはいないです。

そういう時も人生にはあるんだ。

この期に普段自分でも普段なんでかなーと感じていることをまとめてみようと思います。

 

突然なんですけど、このブログの1番の読者って私だなと思ってます。

記事をあげた後に言葉の誤りや、人間として過ったことがないかチェックしたりするだけでなく、備忘録にもなってるので振り返りができるから。

それで結構読み返してみて、自分のことながら「こいつなかなか面白いことを書くものだな」とか自画自賛したりもしてます。

面白いとは笑える話というのも含めて興味深いってことです。

まぁ自分好みの文章は書きやすいっていうのもありますよね。

それで気がついたことなんですけど、昔の精神や身体の不調を訴えている時の方が個人的に面白い文章を書けているんじゃないかな、と。

好きなものを書いているときよりも上手く書けている気がする、これは気のせいなのか?

否。

実際、過去に書いた映画や芸能人や本なんかの感想は結構他の話以上に慎重になってます。

その慎重さはは別に悪いことは無いけれども、どうにかしてみたいというわけで、パッと思い浮かぶ理由をつらつら書いていきます。

 

 

そもそも上手く文章が書けない

書くことは好きだけど、その気持ちにアウトプットや言葉や表現などのテクニックが追いついていない。

ツイッターやブログとかフィルマークスなど、映画の感想やレビューを上手く書く人ってどこでも見かけるし、すごいなぁって、楽しく読みながら感心してます。

特に自分の好きな映画に否定的なレビューだけども納得しちゃう、させられちゃう文章に出会えると謎の興奮が湧き起こりますよね。

書いている内容にもよるんだけれども、言葉運びとか構成とかが的確で効果的なのかなと。

それと語彙の豊富さ。

ああいう納得感が私には足りない気がする!

もちろん文章は読み手に「納得させる事」が全てではないけれども。

 

そもそも何かを書くのに知識が不足している

私が以前書いた記事で、自分のライブのセットリストを考えるってやつがなんと3つもあるのですが。

それやたらと時間がかかったんですけど、何に一番時間かかったかって調べ物です。

基本的に好きなことでも勉強したことでも、自分が知っていることに対してあまり自信がない、信頼を置けないところがあります。

とにかく間違えるのが怖い!

あと細かく考えてきたことと全く考えてこなかったことにすごく大きな隔たりがあります。

「A」ということについて雑誌から全て網羅したいと思って調べたりする一方で、「B」という人についてはさほど追っかけなくても十分満足ってことありませんか?

私はそのAとBの差が本当に激しいです。

で突然B(音楽など)を語りたくなった時に突貫的に調べるハメになるんですよね。 

知識なく語るのも当然何の瑕疵もなくありなんですけど、これは私の中にどこか抵抗があるようです。

自分の知らなさを公開するのが嫌みたいです。

 

暴走したくなくてストッパーがかかる

単純な「嫌い」とか「憎い」とかの負の感情を表に出すときよりも、「好き」や「愛してる」に基づく何かを語る方が最近は慎重になっています。

誹謗中傷に関する注意喚起は悲しいかなどんな時でもよく回ってくるし、意識しやすい。

でも負の感情と同じくらい自分が「好きだ」「良かれ」と思って発した言葉もまた人を傷つけることがあって。

特にそれが漫画だったり、ブロックバスター映画だったり芸能人だったり、アイドルなんかだと「ファンダムの暴走」なんてものがよくある話なんですよね。

リアルタイムでそういうのをいくつも見ていると「いつかは我が身か…」と慎重にならざるを得なくなりました。 

あとこれは傷つけるとは別の話なのですが、ネットスラングは感情をパターンとして表現するのに便利だけど、ほどほどにしないとなーと思ってます。

昔典型的な「prpr」だの「〇〇たそ〜」だの「萌え〜(蕩れ〜)」だの「デュフフww」だの「コポォ」だの「hshs」だの感情のまま、オタク心のままに言ってた人間なのですが。

言葉も意識も変わっていくものだから仕方ないとしても、見返してみると自分でもスラングが過ぎて何も得られなかったりしますよね。

閑話休題

当たり前の話なんですけど、「好き」も「愛」も免罪符にならないので…。

言葉として表現をする前に大変足踏みしてしまってます。

 

大体言いたいことを親に話している

ブログやってるのでお分かりの通り、私には「しゃべりたい」 「話したい」「伝えたい」欲求があります。

その結果割と私は自分の趣味の話を親に話すことが多くて。

そもそも親の映画鑑賞や読書の趣味が私にも遺伝しているし、いまだに一緒に映画見るとかザラなんですよね。

親なんだけど、趣味友達、趣味の先達っていう感じなのですが。

親も話したい、語りたいタチなので、良くTwitterとかでみる「解釈違い」が親子で発生します。

まぁ親子って言っても別個体なんで考え方で違いが出てくるのって当然なんですけれども。

私にとって親は信頼できる語り相手なので、その時まで思ってた精一杯の感想とか考察とかをバーって話すとスッキリ満足して、そのままぐっすり眠れます。

そうすると文章にアウトプットする欲が割と減退もしちゃうし、割とスッキリついでに細い部分を忘れてるんですよね。

今度試しに録音しておこうかな、なんて考えている始末です。

 

駆け足になりましたが、 自分なりに好きなことで文章が書けない話でした。