ヒーローがいた11年

アベンジャーズ/エンドゲームを公開初日に見てきました。

Twitterでふせったー使いつつ散々呟いたし、公開から1ヶ月だったけれども、思い出話でもしたいと思います。

もちろんエンドゲームのネタバレはしませんが、鑑賞後の人間が書いているので気をつけてください。

書いといてなんですけど、絶対になんの情報も入れずにエンドゲーム見た方が絶対にいいです。

MCU初見でも楽しかったって感想見たけど、できることなら私は今劇場で1回見るより、それまでの作品全部見て、ソフト化待った方がいいんじゃないか、そんな気もしてます。

いや、映画は好きに見よう!

 

私のMCU作品の一発目はアイアンマンで(当時はMCUというくくりはなかったけど)、その時は主演のロバート・ダウニーJr目当ての両親に連れられて言ったのが最初です(MARVEL映画だと・・・1998年公開のブレイド、その次が2000年公開のXメンですね、マグニートーことエリック・レーンシャー一押しです)。

当時の私のロバート・ダウニーJrの印象って「素行に難ありだけど演技上手い人」って感じでヒーローなの?と思ってたりしてて、逆に父親は「なんでコミックの映画"なんか"にRDJが・・・」なんて言ってましたけれども。

劇場を出た時、スキップしたくなったのを覚えてます。

ざっくり言って、アイアンマンことトニー・スタークさんは軍需産業で世界平和を大真面目にしていたら、自分の武器がコントロール外のところにまで流れていて、結果テロリストに武器渡してたっていう結構取り返しつかないようなやらかしをして、ヒーローになるんです。

たぶんこの死の商人としての生い立ちが受け入れられない人も、そりゃあいるはずです。

しかも自信過剰で傲慢で派手好きでナルシスト、口を開けば人を煽る煽る・・・。

でもこれがすっごい魅力的で。

現実を見たあとで、それまでの行いを反省して、持てる全てを使ってアイアンスーツを作って平和のために戦おうとするんですよね。

今文字起こししてて思うけどまぁ厄介というか難しいキャラクターを、ロバート・ダウニーJrが「え、本人?」レベルでやってて。

トニー・スタークは確かに失敗しているけど、そこからまた飛翔するって言うのがめちゃくちゃ私にはまる映画だったんですよね。

その後大きい本屋のアメコミコーナー覗いて、どれ買っていいのか分からなくて、まさか最初にDCのウォッチメン原作買ったり(当時区別がついてなかった)もしましたけど、もうこの時点でアメコミ映画とアメコミと細々付き合っていくのが確定したわけです。

そしてその後アイアンマン2があり、ナターシャ・ロマノフという最高のスパイに出会って。

その後公開したキャプテン・アメリカは関連があるらしいと聞いたので意気揚揚と劇場に行ったわけですよ。

シアターにいたの私一人だけでした。

・・・いやいやいや、平日とはいえこれはないだろう。

公開終了間際の「GANZ Perfect Answer」だって5人いたよ?(私と父と母とカップル、以上)

みんなギリギリに来るのかな?って思って最後まで鑑賞したけど、私の知覚だと誰も劇場に入ってきませんでした。

でもそんなことおかまいなく、トニーとは違う正統派なヒーローのスティーブ・ロジャースにめちゃくちゃ鼓舞されて。

その後でなんかヒーローが集合するアベンジャーズを楽しみに見た初回。

自宅鑑賞で予習済みのハルクを楽しみにしてたんですが、2度目ましてのブルース・バナー見て「誰?」ってなったの懐かしいです。

ほんと当時アベンジャーズ関連の情報仕入れてなかったので、ハルクを演じた役者3人いるの知らずに見てました。

さらにいうならアベンジャーズのメインヴィランのロキとアベンジャーズメンバーのソーを見ても「誰?」ってなってました。

ほんと当時中略、マイティ・ソー見てなかったんですよね・・・。

今の私からすると、結構歯抜けな状態でみても全然問題なく。

当時賛否両論(主に否)あった「日本よ、これが映画だ!」っていう絶妙にダサい(個人の感想)コピーにもなんか納得しちゃうぐらい熱を感じて興奮を覚えて。

まだまだ続くらしいとのニュースを見て、絶対追っかけていこうと決意して。

いや本当、最初はヒーロー映画"なんて"一部の人が見る「所詮B級」みたいな雰囲気が漂ってたように思います。

それがあれよあれよという間にマニアだけがみるものから、老若男女が映画館に行って鑑賞するものになってて、映画館の席の埋まり具合が1人でキャプテンアメリカ/ファーストアベンジャーを見た時とは全然違うものになってて、エンドゲーム初日鑑賞では感慨深かったです。

 

なんでこんなにヒーロー映画が好きになったのか、純粋に楽しいとか、そういうこともありますが、その他の理由の一つにマーベル・コミックのレジェンド、スタン・リーの「マーベルは常に"窓の向こうに広がっている世界"の反映である」という言葉があります。

A Message From Stan Lee - YouTube

フィクションであっても人種や性別や宗教などからくる差別や問題と戦うヒーローを描くというのが理念で。

マジョリティのヒーローだけじゃなく、黒人のヒーローのブラックパンサーだったり、女性のヒーローキャプテン・マーベルだったり、映画化はまだだけど、アジア人のヒーローのシャン・チーがいたり、誰かにとってのヒーローが揃っていて。

スパイダーマン スパイダーバースで主役が黒人の少年のマイルスになったとき(他にも女性のスパイダーマンが出てきます、2人も!)、スパイダーマンは白人男性だけがなれるものではなくなり、多様性がでてきました(数年前、ソニーはピーター・パーカーの条件を「白人の異性愛者」である、と決めていたことがリークされたりもしてました)。

海外の黒人の(特に)男の子がすっごい喜んだと思うんですけど、私はDCのワンダーウーマン、そしてキャプテン・マーベルで本当に見てよかったなって嬉しくなりました。

両方とも悪い意味での男性像や抑圧から解放されてるヒーローがかっこよく描かれてて、今現在のある問題に対するアンサーが思いっきりメッセージになっていて、特にキャプテン・マーベルみて泣いたし、背筋伸ばして劇場をあとにしたりしたもんです。

フィクションはフィクションとして成立する作品もありますが、現実と分離したり壁を作ったりせず、娯楽一辺倒にならず、ヒーローと一緒に苦しんだり立ち上がったり、そして勇気を貰えたのが、こんなにはまった理由なんだろうなと思います。

 

精神的に辛い時期もあったんですけど、ブルーレイ見返したりして、好きなシーンだけ見返したりして、何度勇気を貰ったことか・・・。

エンドゲーム見ると作品だけじゃなく、そんな個人の思い出までもが走馬灯のようになって襲いかかってくるので卑怯です。

話の内容も色々思うとこはあるっちゃあるけれど、感情もかなり揺さぶられて、たぶん今年、いや生涯で数本に入る作品になりました。

次公開のスパイダーマン ファーフロムホームで、MCUの第1フェーズ"インフィニティ・サーガ"が終わりとのことで、ここでMCUに一区切りがつくわけです。

これからさきのMCUもきっと新しいヒーローに出会わせてくれるんだろうな、そう思うと同時に、私の人生に、トニー・スタークもスティーブ・ロジャースもソーもナターシャ・ロマノフもブルース・バナーもクリント・バートンも存在した、そう強く思いました。

今までの作品に全てに関わったキャラクター、スタッフ、キャストに感謝します。

I love you 3000, Excelsior!!